“そうめん”はお菓子だった?
今年の夏も暑そうですね。暑いと食欲が落ち、冷やしたそうめんがおいしく感じられる季節がやってきました。
以前のコラム「五節句の一つ“七夕”」では、“七夕”の食べ物としては、織物の糸や天の川に見立てたそうめんの料理が多いようですと、ご紹介させていただきました。
平安時代の宮中七夕にはそうめんが使われており、そうめんを食べると病気にならないといわれていたそうです。
日本には“そうめん”が伝わったのは、唐菓子として伝えられました。
そうめんの祖型「索餅(さくべい)」は、小麦粉・米粉・塩を混ぜた生地をのばしてねじった太い紐のようなものでした。お客様用や、年中行事用として、特別な日の料理に使われていたようです。その後、米粉の代わりに油を塗って細くのばす方法が、鎌倉時代の留学僧によって中国から伝えられ、現在のそうめんと作り方とほぼ同じです。
素麺の文字は室町時代頃に使われ始め、寺院の間食(点心)として食べられていました。点心とは、空腹を満たすための軽い食物で、食前や、食事と食事の間に食べる食べ物です。つまり、おやつと同じように、そうめんやうどんなどが食べられていました。しかし、庶民にはとっては、食べることはできない食べ物だったようです。その後、江戸時代になって全国に広まり、庶民でも食べられるようになりました。
江戸時代初期頃までは、2メートル位の長いままで食べていたとか? さぞ食べるのが大変だったろうと思います。